中国で作る余裕と晩ごはん

中国での生活。
夜は自炊が多かった
最後の4年は晩ごはんと翌日の昼ごはんを一緒に作ることが多かった。
夜の当番がある時は昼に弁当を作っておくこともあった。
(もちろん疲れ果てて外食や持ち帰りもあったし、飲みに行くこともあった。)

日本語教師。
暇な時期もあったが、当然忙しい時期もあった。

ある学校では月から金までフルで授業をし、なおかつ金曜日は企業出張(往復2時間、授業1時間半)をしていたこともある。
その金曜日の帰りのバスに乗り込む頃にはぐったり状態であった。
で翌日土曜日は休み、日曜日は週末班のクラスを2、3持っていた。

いつ準備をするかといえば、日曜の授業と授業の間とか、朝や夜しかない。

ある学校では朝から夕方まで学校にいて、土日も学校で準備をしていた時期もあった。
ある程度先に準備を進める私はあまりなかったが、徹夜で教案を仕上げたこともあった。

最後の学校でも、最初の頃は授業以外の時間目いっぱいを使って準備などをすることもあった。
だが、慣れてくると授業以外の時間の30分ぐらいで終わらせることができ、その後は午後の授業まで自宅で過ごすこともあった。

人生は仕事ばかりではないので、いかに自分の時間を作り出すかは重要なこと。
おまけにせっかく中国にいるのだから、仕事以外は中国生活も満喫したい。
(日本に帰れば、忙しい生活が待っているのだし。)

決して授業準備や事務仕事の手を抜くわけではないのだが、ある部分は「エイ、ヤー」が必要になる。

それができるようになると、まあまあ余裕が生まれる。

そうなると昼に40分~1時間ぐらい昼寝をし、夕方太陽が沈む前にキッチンに立つことができたりもする。
(逆に最初の頃はそれぐらいの余裕を作り出さないと本当に倒れることになる。)
(仕事の時間の中に遊びの時間、遊びの時間の中に仕事の時間があるという感じで生活していた。)

夕方外の子どもたちが遊ぶ声を聞きながら料理をしていると、思い出すのが日本の光景。
特に仕事でとてもイメージが強かった隣の市を思い出していた。

中国で生活していると、様々な場面で日本を思い出すことがある。

だが今現在日本で生活していても、一日に数回中国の光景とだぶって見えることがある。

それはともかく晩ごはんを作っている時にそれを思い出していたのは夕日の影響だったのかもしれない。
(広東省なので日本よりは日暮れも遅い。時差があっても。)



スポンサーサイト

私にとって新暦7月7日は七夕ではなく・・・

7月7日は盧溝橋事件があった日。(1937年)
中国に住む日本人がおとなしく過ごす日のひとつ。

それもあるから私は旧暦での七夕を好むのかもしれない。
別に中国生活の習慣だけの問題でもないようである・・・。