中国語普通話も当然地域によって違う

仕事柄さまざまな中国語を聴くことがある。

私自身は元日本語教師であり、日本語ネイティブであるので、なるべく不用意に中国語を話さないようにしているのだが、時にはチェックのために聴くことはある。

中国語母語話者の中国語チェックとは不思議な話であるが、発音やアクセントに厳しい中国の日本語教育の世界にいたので、耳には自信がある。

そしてずっと広東省に住んでいたので、南方の方々の苦手な発音の地域性もわかっている。
また中国本土とその他の地域の中国語も違いがある。
そうなると、非母語話者であり、中国語を外国語として勉強した私だから気づくこともあるわけで・・・。


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言語学習にはやはり母語能力が重要となる

このブログは多言語に重点を置いているはずなのだが、実際それが書けていない。
それは今年予定していた試験の外に、どうしても新HSKを取得しておいたほうがいい状態になったからである。

計画は計画通りにいかないもの。
それでも計画は必要。

(日本という国が発展したのも、勤勉性だけではなく、1年のさまざまなイベントのほとんどを新暦にて行うようになったことで、長期計画が立てやすいからなのであろうと自分勝手に考えている。)

さて本題に入ろうと思う。

母語も生活言語も育っていない。
または2つの母語のどちらも育っていないというパターンもあることは実際に見ている。
いわゆるダブルリミテット。

中国本土の場合、少数民族の言葉と中国語普通話に限らず、幼少の頃から複数の中国語に囲まれて暮らしてきたかたでそれを感じることがある。

またこれはダブルリミテットではないのだが、母語と外国語の日本語は素晴らしいのに、生活言語の中国語は完全ではない方もいる。
逆に中国語普通話が母語であり、民族語が話せなかったり、話せるが込み入った話はできない場合もけっこう多い。
これらの場合は、母語ではない方をあまり使っていなかったということになる。

母語の中国語方言はいいのだが、生活言語の中国語普通話が苦手な場合に向けてみる。
(母語が朝鮮語やモンゴル語ではなく、中国語方言であることに注意。)

私が中国語を習い始めた頃、「まず母語である日本語を勉強しなさい」的なことを言われたことがある。
後に日本語教師への道を歩み始めた頃に「なるほどなぁ」と強く感じている。
それは自分の外国語学習だけでなく、自分の教える学習者を見ていて感じたのであった。

日本語を勉強する時、媒介語が中国語普通話だとした場合、初級の後半あたりから伸びなくなることもある。
だが(人より時間はかかったものの)日本語が育ってくると、今度は中級の後半から上級で母語の中国語方言や外国語の日本語では表現できるのに、中国語標準語では表現に困る学生を何度か見ている。

母語が広東語であれば、実際に企業内言語がほとんど広東語というところもあり、日本語通訳として仕事をしていてもあまり困らない。
だが、今度は日本語と中国語普通話との間の通訳の場合、困ることがあるかもしれない。
自分の会社の中は広東語でも、取引先企業の中には中国語普通話が企業内言語であることも多いはず。

話は変わるが、私の場合韓国語は日本語よりも中国語のほうと結びついている。
これはこれから韓国語学習を進めていくうえでネックになるかもしれない。
(韓国語を見聴きして、自然に中国語から日本語へと変換作業されていることはけっこう怖く感じる。私は日本語母語話者であり、中国語はお粗末なのであるから。)


正規に話さない方が伝わることも【中国語】

16日までの6日間のお盆休み。
HSKの勉強は聴解をメインに行っていた。

実際中国で生活をし、今でも中国語のドラマや歌を見たり聴いたりしている私にとって、あの聴解の会話はとてもスローに感じる。

もちろん利点もある。
間違って覚えている四声の矯正にもなれば、南方の中国語のある程度の矯正にもなる。
(ある程度というのは、やはり母語ではないので意識的にそれを活用することで、母語話者に聴き取っていただくという考えによる。)

そして「シャドーイングの練習にもなる」。

そういえば、以前まだ中国での携帯電話料金のチャージがATMのような機械で出来なかった頃、よく住んでいる村の携帯電話屋さんでチャージしていた。
懇意の店主がたまに私にこんなアドバイスをした。
「先生は外国人(つまり非母語話者ということ)なのだから、もう少しゆっくり話した方がいいよ」と。

以来たまに韓国語や朝鮮語母語話者のような若干平板型の中国語を使ったり、ドラマの西洋人のような四声はメチャクチャでまるで英語のような発音だが、若干間延びしている分とてもわかりやすい中国を意識したりすることがあった。

非母語話者の中国語を相手に伝えるには実に様々な方法があるということ。
わざとローマ字通りの発音をして、有気音・無気音の違いをはっきりさせたり。

実は私は反り舌音“h”の発音もできるのだが、若干それがはっきりしない中国語を話すことが多い。
時にはまるっきり“h”を欠落させることもある。
それも非母語話者なりに相手に伝えたいがため。
sicizi、さらには”xi”、“xu”の音との弁別を際立たせるということ。
(ただ舌や口は“h”の音の通りにしている。)

ちなみに私が一番難しい反り舌音は“chao”。
炒飯ならいいのだが、炒麺だと聴き取ってもらえないことが多い。
特に中国語非母語話者の中国人に。
そんな時はわざと“h”をまるっきり欠落させる・・・。

またずっと南に住んでいた私は“er”化させない。
最初はさせていた。
だが、今度は日本人に見てもらえなくなることが多かったので・・・。

最後に普通話から離れるが、私の広東語は“N”の”L”化になることが多い。
これは香港スターの歌の影響。
(ちなみに90年代の香港スターの国語の歌は充分日本人の中国語発音の弁別の手本になるかと。)

韓国語の勉強が進んでいない・・・

昨日HSK4級の問題集を買ったが、まだ開いていない・・・。
とにかく現時点の私でも手に入りそうで、さらに世間に通用する中国語の資格はこれであり、絶対に手に入れておきたい。
9月11日(日)の試験以降、10月23日(日)までは忙しいのだが、それが終われば12月の試験に向けてHSK5級の勉強もできる。

ただ、ちょっと無理なスケジュールだったかなぁ・・・と思うことがある。
韓国語の勉強が進んでいない・・・。

ある外国人同僚が言っていた。
「あんたには韓国は向かない」と。

相手は語学のプロであり、私以上に異文化も知っている。
ただ、私にとって韓国語は覚えやすいことも事実。

問題は人生何が途中で現れるかわからないということ。
自分の行動計画だけのめり込んでいては、様々なチャンスをなくすもの。

中国生活で学んだこと。

チャンスはとにかく捕まえる。
駄目であったら、捨てるだけのこと。

このお盆休みは見かけの韓国ドラマを見てしまう予定であったのだが、明日、明後日とまったく実家の制約を受けない自分の時間を作れるので、それを大切にしたい。
言い訳チックだが・・・。

中国語、韓国語、英語、そして※語、さらには他の試験も受けなければ・・・

本来HSKは12月に受験するつもりでいた。
それを9月に前倒ししたものだから(12月も受けるつもりでいるが・・・)、韓国語があまり進んでいない。
というのも10月は他の試験を受けなければならないためであり・・・。

さて、以前も軽く触れたのだが、最近やたらと某国の方々と出会うことが多い。
もともとその言語に興味がないわけではない。
ただ、手をつけている外国語が多く、虻蜂取らずを避けたいだけ。

また最近は日本のある文化と中国の某少数民族の文化にもひかれている。

頭の中をよく整理しないといけない。

新HSKにチャレンジ

日本に帰国したら、いくつかの語学関連の試験を受けるつもりであった。
そのひとつが新HSK。

ところが2014年夏に帰国し、再就職した秋から今年1月までは本当に余裕がなかった。
だが、この2016年に外がメインの仕事からオフィス内の仕事に転職した。
忙しさはさほど変わらないのだが、一応定時から30分以内にはオフィスを出られることが多い。
(以前の仕事は残業が当たり前の世界であった。)
あまり外に出ていないので、夜勉強する体力も残っている。
通勤時間は2時間ぐらいかかるものの、疲れ果てていなければ、電車の中で勉強ができる。

何と言っても、土日祝休みはありがたい。

それでもやっと心の余裕ができたのは最近のこと。

10月下旬に他の試験を受けるため、本当は12月4日(日)に安全策で4級の試験を受けるつもりでいた。

しかし4級の内容に向かってみると、けっこうわかる。
実際に自分が中国を離れる数年前に新HSKの問題を見た時に、己の実力は4級~5級の間であると感じていた。

そこで4級受験を早めて9月11日(日)の試験を受けることに決めたのが数日前のこと。
もしうまくいけば、12月は5級にチャレンジできるかもしれない。

そして先ほどネット上から申し込んだ。

昔も旧3級を取得した時もネットで申し込んでいる。

ちなみに・・・。
広東省に住んでいた私は広州市でこの新HSKを受験することもできた。
ただ、仕事が休みの時期や暇な時期と受験日時が重ならないわけで・・・。
受けることが可能なのは仕事量が極端に減る12月。
だが12月第一日曜日は日本語能力試験があり、教師であった私はその学生の試験の方が心配・・・。

帰国して2年目の今、やっと受験できる。

実際合格しても、話せなければ何もならない。
ただ、取得していればある程度の武器にもなるのが今の世の中。







心は韓国に傾いているが

外国生活の夢がはっきりと固まったのは20代半ば。
将来ビザが取りやすくなるための行動を始めたのもその頃。

特に中華圏を夢見ていた。
ところが2002年夏に苦しんだ挙句、1週間の入院をすることとなった。
入院までの約1か月とその直後は心細くなっていた。

中国に渡るよりは韓国の方が近いという理由で韓国に心が傾いた。
もっとも韓国も昔から好きであったし、一度行ったことがあるのだが。

その時はやたらと韓国のものが目に触れ、耳にも入って来た。
日韓共催サッカーワールドカップの年でもあったし。

翌年2003年になり、NHK BS-2で『冬のソナタ』”겨울연가”(2002年 韓国KBS2)が放映された時もそれを見ながらそんなことを想っていた。

それでも行動計画の力なのか、縁なのかわからないが、無事に中国で9年ほど生活をして戻って来た。

ところが中国にいる間も韓国や中国朝鮮族との縁は深かった。
特に2012年の尖閣問題により、2011年の東日本大震災の後徐々に入りつつあった日本の食料が途絶えた時は韓国食材に助けられた。

そんな私の韓国語はお粗末ではあるが、真面目に勉強すれば中国語を越すと思われる。
やはり日本語と中国語により漢字語を聴いてなんとなく意味がわかってしまうことは強みだと思う。

ところが秋にある試験を受けるために、それほど勉強が進んでいない。
それに帰国後にずっと受けたかった新HSKも受けたい。

なんだかんだ言っても、最初の関門を突破するには実力を証明できるものが必要なのである。
いくら実力社会であっても。

日本語学習者の多くが日本語能力試験にこだわるのも同じこと。
はっきり言ってJ-TESTの方がはるかに高いレベルまで測れるのに、社会のシステムは日本語能力試験をありがたがっている。
(やはり国際試験だけのことはある。)